Masaaki Wada (watercolor portrait by Jesus Guajardo)
作曲家 和田昌昭
Masaaki Wada
Composer
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「宿酔」対談 和田昌昭 − 輪島裕介

2014年6月10日に「宿酔」をめぐって大阪大学文学研究科音楽学研究室の輪島裕介氏と対談しました.対談は大阪大学POSTの企画によるもので,その様子の一部が6月24日発行の大阪大学POSTの記事として掲載されています.

以下の対談の記録は,和田が独自に録音したものからテープ起こしを行い,輪島氏の了解を得てここに掲載するものです.従って,文責はすべて和田にあります.括弧内は,会話の流れがわかりやすいよう,編集時に追加したものです.(2014.7.7公開)


「宿酔」の感想

(輪島氏は「宿酔」を聴いた?)

輪島: もちろん,もちろん,ナイトスクープの時から.

(感想は?)

輪島: やあもう案の定ですよ.やられましたよ.この前の(いちょう祭の)ステージを見て,うちの2歳半の子供もけっこう好きなんですよね.今日は(和田先生に)会って来るよと言ったら,自分も行くと言っておりましたよ(笑).たぶん,あの学園祭の雰囲気で見たせいもあるんでしょうね.バスケットボォーール,とか歌ってますね.

(耳から離れないという感じ?)

輪島: 耳から離れなくなるっていうか,口をついて出ちゃうね.

和田: 僕はインターネットではツイッターとか,あとはYouTubeのコメントとか,そういうのを見てますけど,とにかく「耳に残る」.それから,さっき言われたように,「口から出ちゃう」.それが,いいて言う人もいれば,やめて欲しいんだけども頭に残ってしょうがないという人もいて,それは両方あるんだけど,とにかく「耳に残る」というのは共通してますね.

まず,作った時ね,作ったというのは4〜5年前なんだけど,作った時に家の中で流れると,まず最初に聴くのは家族なんですけど,「それ耳に残るからやめてくれ」と言われた時からなんですよね(笑).だから,まあ,「残る」んだろうなというのは最初からわかってたけど,こんなにみんなすごく残る残ると人にまで言って伝わって行くというのは,ちょっと想像できなかったですけどね.

まあ,こんなことでもないと,こういう面白い経験ができないんで,そういう意味では,いいか悪いかは別にして,今回こういうことになって,ああ面白かったな,というか,面白いなという現在進行形ですけどね,というふうには思っています.

「宿酔」の特徴

輪島: え〜,特徴的? 楽曲分析をしたりするのは,まあ音楽学の中ではそういうやり方もあるんですけど,僕はあんまりそっちのほうではないので,専門家の話として聞かないで欲しいんですけど...気持ち悪いですね,最初が(笑).まあまあ,一応短調なんだけども,不協和な感じを煽るのは,リズムもダッダッダッダッ...で,歌の前のブレークが入るとき,まだ引っ張るんかい,というところで「あさぁ」と来るところで一つカタルシスありますよね.あと,鈍い日が「てってて」て変じゃないですか.「てってて」ていう,あれがなんかこう,深刻なんだけど馬鹿馬鹿しいですよね.で,割とこう,言葉がこう,ブツブツ切れて行く.で,最後に「バスケットボール」ってこう高いところで,最後の音に行きたいようなレの音がずっと伸びて,「する」って,こう,すっと落ち着くっていう,気持ち悪い感じと,緊張と,ふわっと着地する感じ,ですね.だから,そこんとこが口をついて出ちゃうとこなんでしょうね.

でもそれは,後付けで分析すればそうなるっていう話なんで,そういうふうには聴かないじゃないですか.入って来る時は一連のものとして来るので,どうなるのかなていう,ある種の期待と不安で,「バスケットボール...する」っていうのでフワッとなるんですね.

いやでもそれって,別にその,だからいいとか悪いとか,何がいいのかっていうと,それは楽曲の形式だとかを解きほぐしただけなので,だからいいんだっていう理由にはなってないですよね.だから,そういう意味では,わかんないですよ.耳について離れないんだからしょうがないという感じ(笑).

(けっきょくわからない?)

輪島: そうですよね.だから,特徴を記述することはできるけど,でもなんでそれが魅力的かになってないですね.

(わからないから印象に残る?)

輪島: まあまあ,それはどんな曲でも,歌に反応するというのはそういうことなんだろうね.どうですか? 作曲(者としては.)

和田: 作ったほうとして,みんななんでこんなに繰り返して聴いてくれたりとか,人にまで勧めたり,こういうふうになったのかなと,自分なりにいろいろ考えるんだけど,一つは,「すごく異質」.他の曲って,みんなが普段聴く曲というと,まあポップスの曲という感じだと思うけど,僕なんかが見てると,今あるポップスの曲ってみんなワンパターンていうのかね,それが,すごくワンパターンになってきてて,それに慣れてしまってる耳からすると,ものすごく異質な音楽で,ちょっと「あれに似てるよね」ていう喩えるものが何も無いっていうところが,ちょっと,なんかこう,「もう一度」となってくる一つの要素かなと思いますね.

輪島: 「懐かしい」っていう反応ないですか?

和田: うーん,懐かしい,ですか.無くはないけど,そんなに多くはないですね.みんな何を言っているかというと,よくはわからないんだけどまた聴いちゃうんだよね,というのを言ってますね.音楽を専門的に分析してどうこう,というのはほとんど見ないんですよね.プロも見てるはずで,実際に,たとえばバンドでやってて自分等で(宿酔を)演奏している人らもそこそこいるみたいなんです.なんだけど,この曲はこうだからいいよねみたいなのは,そういうのって言わないですよね.言わないけど,イイとは言うっていうね.だからね,言いにくいんでしょうね,こうだからいいっていう部分は.

あと,確実に思うのは,中原中也の詩ていうのが,これがもうすごくインパクトが強くって,この言葉がね.やっぱり「千の天使がバスケットボール」ていう,二日酔いをそう表すっていうだけでも,そのフレーズ自体がすごく耳に残る.だから,曲が強いのか,フレーズが強いのか,どっちのせいでって言われてよくわからないけど,まあ相まってるていうのはありますね.

うまいんですよね.うまいっていうのは,たとえば,僕も自分で歌ったりするので,何度も繰り返して歌ってるとね,たとえば,「ストーブが,白っぽく,さびている」ていうのがね,(出だしが)スッ,スッ,スッなんですよね.とかね,そういう言葉の音とか韻とか,で,さっき言われた「てってて」ていう部分でもね,「てってて」って,まあおかしいですよ.詩にそういうのは普通持ってけえへんでしょっていう,でもそれを,あえて持ってきて,「照ってて」という日本語の意味とは別にテッテテというリズムをそこに持って来るとかね,まあそのへんは中也が天才って言いたいけど,たぶん努力して身につけたものだと思うんですけど,そういう技術ですね.それは,うまいですね.すごくうまい.何度も歌ったりしてると,それをすごく感じて,この「宿酔」という詩の場合も,そういう意味で,隅々まで非常によく考えて作られてて,それでやっぱり,山羊の歌の初期詩篇の一番最後の詩なんですけど,なんで最後にしたかって,自分としても,技術的な意味でうまくできているって感じてたのかとなんとなく思います.中原中也の詩がすごくうまくできているていうのが強く影響しているとは思いますね.歌詞はなんでもよかったかというと,全然そんなことはなくて,この歌詞だったからみんな繰り返して聴いてるっていうふうには思います.

輪島: ある意味,語り物みたいなところ,ありますよね.詩の言葉のリズムに合わせているので,すごく間があるところがあったり,詰まってるところがあったり,伸ばして伸ばして「する」っと.

和田: 中也は伸ばしてないですけど(笑).あそこに空白空けてたら天才やと思います(笑).

輪島: そこはあの,作曲の手柄ですよね.

和田: そうですね,手柄なのか何なのか知りませんけど,けっこうハマる要素ではあるような気がしますね.

(中也の詩の特徴的な部分をさらに伸ばした?)

輪島: うーん,さらに伸ばした,どうなんでしょうね.

「する」最高ですよね.(爆笑)

バスケットボール...2歳児も歌ってるもん.あれはね.まあ,でも,メロディーって言えば,耳につくのはそこですよね.

番組の中ではすごくもったいぶった感じで出てきたじゃないですか.いろいろ前置きが,曲が流れる前にね.正直,一番最初は,割と普通の曲だな,曲が始まってしばらく,でも,「バスケットボール する」は,これはないだろう,これは普通思いつかないだろう,これはさすがだ,やられた,ていうのはありましたよね.だから,和声の進行というか,そういうので言うと,そんなに珍しいものではないですね.短調で,ダダッ,ダダッと.たとえばヘビーメタルとかだったら,ああゆうのありますよね.ダダッていうので,A♭,B♭,Cmていうの.そういう楽曲の構造自体はそんなに珍しいものではないというか,異質なものという印象は僕は無かったんですけど.あとは全体のたたずまいとかね,番組の中での紹介のされ方ももちろんあるしね.

「宿酔」を誰が聴いているのか

和田: 探偵ナイトスクープという番組を聴いてあそこから入った人っていうのと,それは知らなくって,後から友だちに言われて,3回聴いてみてよって言われてYouTubeの動画しか見てない人っていうのがいるわけで,その人らがどいういうふうに違って聴いているのかは,僕はよくわからないんですよね.

輪島: 気になりますね.

和田: 探偵ナイトスクープの中では,バラエティ番組なんで,お笑いのネタにする,まずはとりあえずは笑いましょうていう番組構成にしてあって,あえてそういう切り貼りの仕方ね,長い部分をもっと長くしてみたりとかね,ていう演出がしてあって,笑うところから入るんで,たとえばツイッターでも,なんか「w」が後ろに全部付くんですよね.ツイートした後に笑いの意味でね.「バスケットボール するw」なんですよね.なので,それが,番組のそれがなくって,本当に「するw」て来るのかって言うと,そこはちょっとわからないですね.

輪島: 笑うとこじゃないですよね.

和田: なんか,その,違うような気がするんですけど.でも番組から来た人は,そこはまずは笑う場所だったというのはね,番組の影響はもう抜きにはできないんですけど.

(輪島氏自身は懐かしいと感じている?)

輪島: うんとね,懐かしいっていうのとちょっと違うかな.でもまあその,なんだろう.たとえば70年代ぐらいのフォーク音楽かなんかで詩として書かれたものを歌にするていうような傾向があるわけですよね.それはピアノじゃなくて,ギターが中心だけれども.で,そういうとこだと,比較的単純な和声で,単純なリズムで,そういう意味では,近いものは感じたんですよね.

和田: うーん,僕が聞いてる限りだと,コメントとしては(懐かしいというのは)そんなにたくさんは聞かないですね.

あのね,YouTubeの動画を僕は自分自身で上げてるので,その統計情報にアクセスすることができるんですけど,その統計情報の中に視聴者の年齢分布っていうのがあるんです.

「宿酔」の動画の視聴者の年齢分布を見ると,大学生は実は少ないんです.ピークが45〜54歳で,僕と同世代ぐらいのところが多いんです.だから,あの動画を何度も聴いているであろう人達と,僕がツイッターでコメントを見てる人達ていうのは,ずれてるわけですよね.全然僕が知らないところで,何を思っているか知らない人がたくさんいて,で,あんまり多くない大学生ぐらいのとこらへんのコメントを僕は見ながら,こうなんかなということだからね,ずれてるんで,その大部分の人達が一体どう思って聴いてるというところが全然わからないんです.

輪島: ある種の,でも,同世代的な,同世代と言っていいかどうかわからないですけど,まあまあ単にネタではないですよね.この層は,と思いますけどね.

ほか,いろいろ曲をアップされてますけど,それと目立った形で分布に違いはないですか.

和田: どうでしょう.「宿酔」の次に多いのは「サーカス」かなあ.そんなに違わないですね.

輪島: リピーターが多いですかね.

和田: リピーター多いと思いますね.毎日必ず朝晩聴くみたいな人が多いんじゃないかと思いますけど.で,なんとなくツイッターから漏れて来るのは,「うちのお父さんが毎日掛けるので耳についちゃった」とか,「お母さん(宿酔かけるの)やめてほしい」みたいなのがあったりとか,もしくは,「親と一緒に歌ってます」とか,けっこう,だから,それを見てると,僕らと同世代かその下と中高生ぐらいが親子で一緒に歌ってるみたいなのがツイッターなんかで見かけるんですけど,これ見てると,さもありなんというか,そういう人もかなりいるのかなと思いますね.これは,企業秘密なんです,本当は(笑).

(ツイッターしている人から和田先生にコメントが来る?)

和田: いや,僕にコメントをくれてるんじゃなくて,検索機能あるじゃないですか.検索機能でキーワードに「宿酔」とか入れると「宿酔」が入ったコメント全部引っかかって来るので,そういうのを眺めていて,みんな何を言ってるかなということですね.

さっき言ったように,45〜54歳の人が何を思ってるか僕は全然知らないわけですから,懐かしいと思ってるかも知れんし,斬新やと思って聴いてるかも知れん.そこは全然わかんないです.

「宿酔」の構造

和田: 和声的には,基本的なところは既存のものに近いのがあるかもしれないけれど,ほとんどの和音が5音の和音なんですね.しかもクローズドで,片手に5音も入っていると,すごく濁るわけですよ.で,その濁る感じが最初から最後まで不協和な感じがありつつ,リズムのほうはすごくスパスパと,ロックなんかで出て来るようなリズムで.和音のほうは,普通ロックだったらそんな濁った音は使わないで3和音中心の単純な和音でガンガン行くところが,こんな濁ったやつが出て来るのはむしろジャズとかそういうのなんだけど,ジャズってリズムのほうまでチャラチャラしてるんですよ,普通は.なんで,リズムはロックなんだけど,使ってる和音はかなりジャズで,しかも短調も,自然短音階と旋律的短音階を行ったり来たりするみたいなことが入ってるんで.普通ポップスとかだと,そのへんはどっちか(一方だけ)なので,けっこうそこがゆらゆら動いたりとか.あとは左手の低音のガンガンガンと入って来るのが,これが,少なくとも自分では気持ちいいと思ってます.たぶん,みんなも,低音でガンガンガンていうのとか,そのあとのタカタカ,ジャーンジャーンジャーン,タカタカっていうあれを心地よく聴いてるやろなっと思いますね.それは,僕が作曲する側としたら,あそこはカッコイイよな,というか,気持ちいいよなっていう部分なんで.

輪島: カタマリですよね.

和田: カタマリなんだけども,本当にガチャーンとグーでやるような,クラスタていう,そこまで行っちゃうと,和音でもないんだけど,そこまで行かなくて,ちょっと知ってる和音が残ってそうなんだけど,でもこの濁りようがクラスタみたいなガチャガチャーンみたいなようでもあり,その中間ですよね.作る方としては,その中間みたいなやつを狙って作って,そこへ,リズムのほうもガチャガチャになっちゃうと全部ガチャガチャなんですけど,リズムはもうきっちりロックのきれいなパターンを入れて作ってるんですよ.

輪島: あれを,エレキギターなんかで,それぞれ違う和音を複数のギターで歪まして弾いたりなんかすると,割と,実験的なロックバンドの音になるかな,ていう感じがする.あの,パンク以降に出てきたような.あの,なんか,ノイジーなところすれすれの気持ちを,一つありますよね.ピアノなんで,言うても,そんなに生理的に痛いというような濁りではない,というか,そのへんの中毒性もありそうな気がしますよね.

でもあれですよね.器楽曲を作曲されてるじゃないですか.割と,意図的に,気持ち悪い響きを入れたりしてるところもないですか.オーソドックスな,モーツァルトみたいな作りのところで,気持ち悪い和音が響いて,それがひっかかるみたいな.

和田: そうだな,いろんなタイプの曲を作ってるんですけど,たとえばエリック・サティの音楽が好きで,それって,西洋音楽の流れで言うと,ロマン派のクラシックの音楽というのがあって,時代的にはドビュッシーとかラベルとかていうフランスの音楽があったところに,突如今のポップスにけっこう近い感覚の作曲をするエリック・サティという作曲家の音楽がフイッと出てきてね,それがクラシックの普通の流れから言うと気持ち悪い,けれど気になる,みたいなね,僕はそれが好きなんで,好きだからもちろん影響されてて,そういう意味では,そういう系統の和音はかなり入ってますね.僕は好きだから.でも,なんでもいいんじゃなくて,趣向があって,こういう感じの部分は好きだけど,ということですねえ.

「宿酔」という現象

輪島: YouTubeで見てる人がどう思って見てるのかは全然わからないですけれども,番組由来で一種のネタとして見てる人を除けば,きっかけになって,知らない人が作った曲,でも,いわゆるプロの仕事というのともちょっと違うし,アカデミックな現代音楽の作曲というのとも全然違うし,そういうのを見るのが楽しいんじゃないですかね.素人というふうに言ってしまうとあんまりよくないのかもしれないんですけれども.

和田: 業界のプロではない.

輪島: そうそう,そういう意味では,知らない人だけれど,そういうものを見て.中原中也の詩ていうところでの引っかかりももちろん多くの人にはあるだろうし.特に年配の.一つはそういう面白さがあるのかという気はしますよね.

だから,そういう人達が,CDが出たら買いたいかというと,それは違うと思うんですけど,見ず知らずの人がなんかちょっと気になることをやってる動画を見るというのは,ネット時代になってからの独特の楽しみ,音楽の楽しみの一つだと思うんですよね.

同人音楽が盛んですけど,その場合だと,ヴォーカロイドを使うだとか,その時点でお約束ができたところで,それに従ってみんなが作るじゃないですか.

和田: そうですね.

輪島: でも,ナイトスクープがきっかけだったかもしれないけれども,文芸としての詩をモチーフにした職業的ではない作曲家の音楽をたまたま耳にして,たまたま気に入った,ていうことがすごく楽しい,ていうのはありそうな気がします.だから,素敵だからぜひCDが欲しいというのともちょっと違うかもしれない.でもなんか,これがいいんだよねっていうのは,YouTubeというか動画で気になる曲を見る楽しさ,と結びついてるかなという気がします.

本当にすばらしいていうのか,それともなんか耳につくというのか,まあどっちだっていいわけじゃないですか,見てるほうは(笑).すごく失礼な言い方ですけど.

和田: いえいえ(笑).

輪島: でも,それをYouTubeで見て,しかも気に入ったら何度も見て,ていう楽しみ方は,それは一つ新しいことだし,意味があるかなって気がします.

和田: 僕はね,作曲したら,音楽としてどうなの,ていう部分と,音楽とは別に付加されている属性というのがありますよね.今回の「宿酔」に関しては,まず大きな属性としたら,探偵ナイトスクープていう番組で紹介されたということだとか,阪大の教授が作ったていうね,大学教授が作ったていうのが,それ抜きでは行ってないわけね,コメントとか見てても.大学教授が作ったやつってみんな認識して聴いてるわけで,その部分がもちろん聴き方にかかわってくるわけでね.作曲する立場としたら,そういうのを抜きにしても面白い,もしくはイイから聴きたいんや,みたいななものを作りたいみたいなことを思うわけですね.

僕が自分の音楽のホームページには,大学で数学を教えてますとか,そういうのは何も書いてない.書いてないというのは,始めた時の意志としては,そういう属性とは無関係にやりたいぞていう,少なくとも意志だけは.それから言うと,今回は,やっぱり探偵ナイトスクープがきっかけだったわけだし,広まってみれば,大学教授だっていうので広まってるからね,完全に敗北なんですけど(笑).そういう付加属性みたいなやつが,いったいどのぐらい効いてるのか.それからもちろん,中原中也の詩だったっていう,それはすごく大きな属性ですよね.そういうのを抜いた時に,一体何か残ってるんだろうかどうなのか,というところが自分としてはすごく気になるところですね.たまたまそれらが重なったら,曲は実はどうでもよかったんじゃないかていうね.わからないですよね.それはまあ調べようもないんだけど,作ったほうとすると,すごく気にはなって.

今の業界のプロが作ってる曲ていうのは,基本的にはそういう付加属性を最大限に活かして売るわけですよ.ラジオで流してリピートしたりとか,ドラマとタイアップしたりとかね.音楽自体と無関係なものとうまく結びつけて人の耳に残させるみたいなことをやってて,自分としたら,なんとかそれでないやつで行きたいな,て思ってたんですけどね,やっぱりそれは,向こうはプロでやってるところに,しかも,そういうのを使わないでというのはね,それはまあ,難しいことやね.

輪島: 聴く方は,そういうのを抜きに聴くっていうのは事実上できないですからね.

和田: 無意識に入ってて,そんなものに左右されているっていうのは意識せずに聴くわけですよね.なんで,ちょっと,そこはどうしようもないですね.

輪島: でもね,別にその,また同じような曲を作って下さいっていう依頼があるわけでもないですし,それで,阪大の顔として売り出したいから,今度の学祭までにじゃあ10曲作って来いと上から言われるとかいうこともないわけですから.

どうなのかはわかんないですよね.奇跡の一曲だったのかもしれないし,そうじゃないかもしれない.見てるほうは,たぶんそういういろんな条件が重なった奇跡の一曲で,まあ,いいっちゃいいですよね.それとして,すごく面白い.気になる,わけかな,どうかな.でも,それまで作ってこられた立場からすると,難しいですよね.いろいろ複雑な思いは...

和田: いやあ,うんうん.まあ,僕,音楽活動というのを本気でやろうと思い立ってから9年ぐらいなんですけど,その中でこういうことがあったほうがよかったか,なかったほうがよかったかというと,そりゃ,断然あったほうが面白いわけで,そういう意味では,もちろん今の状況を楽しんでいるというか,楽しめるだけ楽しみたいとは思ってます.もうちょっとこうだったらよかったとか,そんなこと言ったってあり得ないわけだからね.今からまた同じようにできるかと言ったら,これは大変なことで,自分の経験から言うと.

YouTubeだけなんですよね.もちろん,探偵ナイトスクープって紹介があるんだけど,そのあと,普通ラジオで聴いたりとかね,テレビで紹介されたりというのがあれば,それがきっかけでまたYouTubeに戻ってきてってあると思うんですけど,YouTubeだけなんですよね.他で聴く要素はなくって,YouTubeを見た人がツイッターで「これ見てよ」って言って友達にYouTubeの動画のリンクを張って聴いてもらう.で,面白いって言って.だから,すごくアングラ的に広がって,アングラ的に広がって80万回再生というのは,なんかあり得ないていうか,自分としてはね,そういう意味ですごく面白い現象というふうには思ってます.

輪島: なんか,人生変わりましたか.

和田: 人生はすごく変わりました.あのねぇ,声かけられるんですよね(笑).今日も,廊下歩いてたら学生が「和田先生ですよね」と握手求めて来るんです.人生変わりますよ,そりゃ(笑).

輪島: 面白いですよね.

80万...80万枚売れるのとは意味が違いますよね.

和田: 全然違いますけど,

輪島: そこが面白い.

和田: YouTubeの動画再生数って,いろいろ見てみたんです.まあ,おもいっきり多いのはディズニーとかね.それはさすがに多いんですけど,日本のバンドやってるようなもののアップロードしてるやつでいうとね,何千万回というのはもうメジャーのトップレベルって感じなんですけど,普通よっぽど有名なところでも数百万回止まりで,百万行ってるバンドなんていうのはあんまりたくさんはない.まあ,100もない.バンドなんていっぱいあるでしょうけど.

で,たぶん質が違うんです.宿酔の場合はリピーターが多いと僕はなんとなく思うんですけど,他は聴いてみたっていう人が多いっていう数を比べてもしょうがないんでしょうけど,それにしても回数で言って,(80万は)あんまりそこらにはない数やと思いますね.ちょっと,「現象」と言っていいぐらいっていうね.

輪島: 阪大の外でもあります? 反響は.

和田: あります.あります.えっとねえ,近所の郵便局に行くと,まずそこの窓口やったはるおばさんが知ってて,話してたら,お子さんの中学のクラスで流行ってるって(笑).そういうのを聞くと,やっぱり,80万回って,たぶん関西中心のような気がするんですけど,いるんやなって感じですね.

輪島: 誰かが勝手にリミックスしたりはしてないのかな.

和田: ありますよ.リミックスというんじゃないですけど,カバーはありますね.僕,楽譜は無料で上げてて,クリエイティブコモンズで,非商用だったら自由になんでもやってねって書いてアップロードしてるんで,ミクに歌わせてみたやつとか,自分でギターで弾いてみたやつとか,いろいろ,まだそんな数が多いわけじゃないですけど出てますね.あと,バンドでやったっぽいツイートもちらちら見ます.ぼちぼちあります.

「宿酔」を作ったとき

輪島: 話はずっと遡りますけど,この曲ができたときは,「これはいける」と思いました?

和田: 作った時ですか.いやあ,僕ね...まあ昔のことから言うと,作曲を始めたのは,ギターを弾いてたんで,ギターで簡単な曲みたいなのは高校ぐらいからちょっとずつ始めて,ただ,それは本当に見まねだけの,ちょっと作ってみたというだけで.それで,大学院のドクターの時にニューヨークに留学したんですけど,その留学先で,まわりにミュージシャンがいっぱいいて,イベントもいっぱいあったんで,そういうところで1曲2曲一緒にやろうよっていうのに作曲を始めたんですね.で,その2年半留学してた時がめちゃくちゃ楽しかったんです.あとから振り返ると.

それで,その後日本に帰国したら,研究とか忙しくなっちゃって,しばらく音楽から遠ざかってたんですけど,やっぱり楽しかった音楽を,人生でもう一度やりたいなと思ったのが9年前で,そのときはもう,つても何もなくって,こっからどないやっていこうかというのに,本気でやらな何にもなれへんやろな,とまず思ったんですね.

それで,楽譜書いてもあかんやろな,とか.楽譜書いたって,そんな誰が書いたかわかれへん楽譜なんて面倒くさいの(演奏家は)取り上げないですよね.だから,もう耳から入るしかないかと.だから音源を作れなあかん.だから音響技術.音響技術って音源を作る技術を,コンピュータを使ってね.それもやらなあかん.だから,作曲の勉強もするけど,音響技術の勉強もし,それ以外に聞いてもらうためにはいろいろコネクションが必要だから,まあ大学にいたんで,クラブに顔を出して学生といろいろコンタクト取ったりとか,ブログを書いてそこへ音源貼ってみたりとか,近くのローカルの放送局の人と親しくなって番組に出させてもらったりとか,考えられる限りいろんなことをやって,それで,しばらくやってる中の作曲なんですけど.

木管三重奏のCDを5年目ぐらいに出したんですね.もうほとんど売れなくって.で,ちょっと歌曲みたいなのをやってみたいなと.で,元がクラシックなんで,ベースの発想としては,クラシックの歌曲.だから,シューベルトの歌曲とか,ヴォルフていう作曲家がいるんだけど,フーゴー・ヴォルフの歌曲が好きで,そのへんとか.クラシックの歌曲というのを現代にそれに相当するものを作るとするとどんなもんかなって考えていって.

クラシックの歌曲というのは,たとえば,ゲーテの詩を取ってきてそれに曲を,ピアノ伴奏を付けましたみたいなそんな感じのものなんですよ.自分も同じようなことをちょっと試しにやってみようかっていうので,それで選んだのが中原中也の詩で,それはたまたま知ってたからというのと,中原中也の詩,なんとなく好きなやつがいくつかあったので,もう一度中原中也の詩集を読み直してみて,その中で自分が音楽,曲にしてみたいなって思ったやつをピックアップして,次々作ってみて,けっこう試しって感じなんなんですよ.試しっていうのは,音楽として,こんなタイプはどうだろう,ていうね.だから,クラシックの歌曲を今作るとしたらこんなものもありかな,こんなものもありかな,なんで,7曲聴いてもらったら,タイプの違うやつがいろいろ混じってると思うんですけど,それは,だから,試しで作って...1週間〜2週間ぐらいに1曲ずつぐらいで作ってたんですけど,その中で,宿酔で,クラスタ風のやつを入れて...

クラスタ風というのは...現代音楽て一般に呼ばれるジャンルがあるんですけど,僕は現代音楽に関してはすごく批判的な感じの見方をしていて.話すと長くなっちゃうけど言うと,ロマン派,たとえばベートーベンだとか,そのあとブラームスだとか華やかなクラシックの時代っていうのはクラシック音楽がポピュラー音楽だった.今の一番ポピュラーな音楽は何かというのがクラシック音楽だった時代だと思うんですね.それが,クラシックの流れとして見るんではなくて,ポピュラー音楽の流れと思って見たら,(クラシックが)今はもう衰退してる.衰退し切ってはいないですけど,未だに続いていますけど,すごく違ったものがメインに出てきている.何がどうなっているかと言うと,たとえばジャズみたいなものが出てきたりとか,ロックが出てきたりとか,今いわゆるポップスと呼ばれているようなものが,入れ替わり立ち替わりいろんな形で出てきているんだけれども,そういう流れがあって.で,現代音楽と今呼ばれているものっていうのは,クラシック音楽のいろんな要素を引き継いではいるんだけど,ポピュラーの流れという意味で言うと,あっち行っちゃった.で,あっち行っちゃった原因ていうのが,僕が思うには,流行ってた頃は,お客さんから収入を得て作ってた.クラシックがポピュラーだった時代ね.ベートーベンもコンサートやって,それの収益で食ってたわけですよ.だから,芸術としてやってるんだけど,でも大衆性というかね,みんなにウケるみたいなことっていうのはおろそかにできない.それをおろそかにすると食って行けなくなるから.それを両立させようと思って,そのころの人はたぶん必死だったはずで,みんな,どうやって両立させるかっていう感じでやってたと思うんですけど,それが,大学に作曲をするっていうような感じのものができてきて,作曲家が大学の先生になっちゃった.それは,たぶん,シェーンベルクだとか.

輪島: 1920年代ぐらいかな.

和田: で,すると,先生として給料をもらって,それで食えるから,聴衆に媚を売る必要がなくなっちゃう.自分の作りたいものを作ったらいいんだということだけになっちゃうんで,そうすると,人が喜ぶかどうかは二の次になっていった結果,聴衆が置いてけぼりになっちゃってるみたいなことがあるのかなと,僕は思ってて.

輪島: シェーンベルクとかヴェーベルンの時代に,要するに,仲間内だけで演奏会をやるようになって,それはそれで,彼らがいきなりそうなったっていうよりは,音楽というものは単なる楽しみではないもっとなんか深遠なものだ,まじめなものだという観念がその前からあるわけだけど,それがかなり極端な形で突出していったんだよね.

和田: そうそう.するとね,音楽の,作曲のプロがいて,それを聴くプロがいてみたいな感じのね,そういうクローズドな中だけで作って,おおこれは芸術的に凄いとか言ってみて,いや,それは凄いんですよ,芸術的にはね.凄いんだろうけど,ただ,外の人らがどう感じるかというのを置いてけぼりにしちゃってるような感じのところがね,僕はそれがどれほど本当かは知りません.知らんけど,僕はそういうふうに見てて.

実はその同じことは,僕は大学で数学をやってるんで,数学の中ではあるんですよ.僕が数学の定理を証明して,それは,隣の家のおばさんにわからすことができるかというと,できないんですよ.だから,それは大衆性はないんだけど.数学のプロが証明して,数学のプロが理解できて,それで終わりのクローズドな世界なんだけど,数学の場合はそれでいいんです.いいって言うのは,それがあって,関連分野の基礎になってみたいなことでね.(数学は)それでいいんだけど,音楽がそれでいいのかって言うと,僕はちょっと.音楽ももちろん広いですけどね.そんな音楽があっても別に僕はかまわないけど,ただ,僕が数学もやり,それとは別に音楽もやるっていうときに,そのクローズドな世界の人達しか理解しないというのを音楽でも繰り返したいかと言うとね,それは,そんなことやるんだったら,わざわざ違うことやる意味はないんですよね,僕にとっては.だから,音楽の大衆性みたいなもの,ほとんど知らない人でも何か感じる,みたいな部分ていうのは,それはすごく大事で,自分にとっては.だから,稼ぐために媚を売るって,それはまた別の話なんですけど,でも,何か伝わって欲しいな,みたいなところがあって,そうすると,宿酔みたいなやつは,けっこう現代音楽的な要素みたいなものも意識してはいるんだけど,でも現代音楽でもう伝わらなくてもいいや,それじゃあかんでしょ,なんらかの意味で伝わらなあかんでしょ,というつもりで,そこをなんとかがんばって作ったけど,最初の4年ぐらいは全然ダメでしたからね(笑).再生数が千とかぐらいでしたから,ああやっぱりあかんかったかな,力不足やなていう,そんな感じですね.

芸術と大衆性 表現と娯楽

輪島: なんかきっかけがあれば,4年間で再生数が千ぐらいだったものでも,バーンと80万行くっていうところが面白いところで,たぶんその大衆性が,じゃあ19世紀のそれと同じものかって言うと,ちょっと違ってそうな気もして.

和田: 比べようがないですよね.

輪島: 比べようがないんですよね.でもそのときは職業意識,プロとしてやるんだ,プロとして客を楽しませるんだという意識が当然あっただろうし,あるいはスポンサーを,パトロンを楽しませる,あるいは納得させるっていう,職業的な使命感があっただろうし,でもそういうものを現代の立場から意識的に引き継ごうとして,それをネットで公開して(笑)それを見た人が,こんど,テレビっていう,言ってみたら資本主義の権化みたいなところとつながって.

和田: もう,カオスですよね(笑).

輪島: でも,そういう一連の状況が,すごく面白いですよね.そういうものを見たいと思ってる.そういうものっていうのは,いわゆるプロフェッショナルではないけれども,でも初めから仲間内のルールがあってできているようなものではないものを,たまたま知って,それがすごく面白いと思って,そいう聴き方とか,知りかたが出てきている,ということがすごく面白いですよね.

だから,音楽が職業化する,演奏家が自立していくっていうのは,やっぱり19世紀のことなんですよね.

和田: それまでの宮廷音楽とかと対比したときに.

輪島: 宮廷音楽とか教会の音楽っていうのは,必ずしも楽しみのための音楽,聴いて楽しむものである必要はないわけですよね.儀式のものだったり.宗教音楽であれば,人に聴かせるためのものじゃない,だから,楽しみの音楽というのは,基本的に仲間内で家でとか,やってるものだったわけですよ.そういう意味で,ベートーベンぐらいの時代には,お客さんを楽しませるものというよりは,それを見に来る人自体が,崇高な偉大なものを見に行くっていうふうなことがあったので,その時点でおそらくは.

和田: 僕のイメージはね,ベートーベンよりはね,たとえばパガニーニとかね.

パガニーニってすごいヴァイオリニストがいるんですけど,僕のイメージだと,今のロックスターみたいな感じなんですよ.

輪島: イングヴェイ・マルムスティーンですよ,完全に.

和田: パガニーニがヴァイオリンを弾くとさ,女の子がキャーって言う感じの雰囲気だったんじゃないかと想像するんですけど.

輪島: リストとかも.

和田: そうそう,フランツ・リストがそのピアノ版をやるんだと言って派手にやってるところへ,ショパンが青白い顔をして来て,人気をさらっていくんだよ.リストが,「くそぅ」,みたいな感じでやってるっていうね,そういう雰囲気なんですけど.だから,今ロック,ロックかどうか知りませんけど,コンサート会場でトップの人気争いをしているみたいな世界が,クラシックのパガニーニ,リストのころの時代だった.で,それは,今のポピュラー音楽の最前線みたいなのと同じことが,クラシックというジャンルで行われていたと思うんですよね.で,僕はクラシックでずっと来てたけど,いっときポピュラー音楽の流れ,ポピュラー音楽というのは,無差別ジャンル,無差別級というか,ジャンル関係なしで誰が一番人気をとったかだけを争うみたいな世界で,そういうところにちょっと興味があって,そう思った時に,どういう流れなんかなと見たりとか.それで,ポピュラー音楽の流れみたいな本を何冊か読んでみたりとか.

輪島: ポピュラー音楽の中でも,売れたもん勝ちっていうわけではないんだよね.ポピュラー音楽とロックについても,たとえば,実際にどれだけレコードが売れたかっていうことと,雑誌とか批評家達の中でどう評価されているかということは,けっして一致しないので,構造はけっこう似てるんですよね.

パガニーニとかリストは,当時においてはクラシックだったけどポピュラーだったというのは半分合ってるけど半分違っているところがあって,当時の音楽状況の中で超絶技巧のショーマンシップ,ヴィルトゥオーゾの音楽というのと,たとえばシンフォニー,管弦楽の会員制のオーケストラの,楽友協会とかでやるコンサートっていうのは,同じクラシック音楽の中にいるっていうよりは,別物というふうに思われていたところはあるので,その中のまじめなほうの音楽がどんどんまじめになっていくと,わけのわからないほうに行くというのはあるし,パガニーニやリストみたいなものが,より興行として発展していくと,ブロードウェイみたいになったり,ミュージカルになったり,そうすると,それが,アメリカに来て音楽産業に結びついていったりすると,スタンダードナンバーみたいな形で定式化されていったり録音されていったり,ていうふうなことがあるので,歴史的なことで言うと,そういうことではないんですけども,クラシックの中にすべてが一緒に入っていたというわけではないんだよね.当時の,19世紀には19世紀なりに,楽しみのためのものとまじめなものっていう峻別が,やっぱり,その頃出てきているわけで.

まあ,でも,音楽史とか音楽学で言うとそうなんだけど,音楽を作る人は,言ってみれば,突き放した言い方なのかもしれないけれど,自分が好きなように歴史を解釈していいわけですよ.音楽を作る人は(笑).

和田: はい(笑).

輪島: それで,出てきた結果がすごく面白ければ.

和田: 和田先生は,勝手にこんなふうに解釈して.でもまあ,80万再生だから文句は言えないよな,みたいな(笑).

輪島: そこが面白いですよね(笑).

正しい音楽史,みたいなことで言うと,やっぱり,どうしてもアカデミックな作曲に行かざるを得ない.そうじゃなければ,本当にプロフェッショナルの職業音楽家になるか.でも,なんていうか...

和田: 僕はね,それが分かれるっていうのがいけないことでね,本来,だから,それを引き戻さないといけないなっていう意識がすごくあるわけですよ,自分の作った曲で.それでね,二つ,まじめな音楽と楽しみの音楽て言われてんけど,僕の中での二つの対立はね,一つは娯楽なんです.娯楽ていうのは,聴く人を楽しませるためのもの.で,もう一つは自分の伝えたいことを伝えたいわ,という欲求.その二つって,あまり相容れない,というのは,たとえばお金のことで言うと,聴いて欲しいわ,聴いて欲しいから作曲するんだという立場で言うと,聴いてくれてありがとうってお金払わなあかんぐらいの立場なんですよね.有り難い.わかってくれて嬉しい.で,相手がこういうふうなのを聴かせて欲しいていう,それじゃあこうやって技術使って作って,いい感じでしょっていう,それだったらお金もらえますよね.その二つの種類ていうのが,自分が作曲する中で対立するものなんだけど,片や娯楽に走り過ぎ,というか,たとえばテレビなんかってね,視聴率,視聴率って,それは娯楽の最先端で,つまり聴いている人を楽しませる,どんだけ人が楽しんでくれんねやっていうことにすべてを捧げるというか,そういう構造で動いているのが(一方に)あり,そうでなくって,そういう部分は気にせずにいいから,自分の表現したいものを表現するんだっていうね,それはたとえば,大学の音楽をやったはる人らっていうのは,お金は給料が払われているわけでね,作曲するっていうと,自分の仲間内でやればいいわけで,それがちょっとかけ離れすぎてる.それが昔は,必然的に両方やらなあかんかったというのが,さっき言ったように19世紀とかはそうだったのが,今離れてしまっているのが問題で,これを引き戻さなあかんな,とすごく思ってるわけよ.だから,なんとか,娯楽にもなるんだけど,まずは表現.表現なんだけど,なんらかの意味でポピュラーじゃなくてはいけなくて.娯楽だけっていうのはダメなんで,基本的には自分がこういうのをやりたい,それは譲りたくない.これを,今どきだからこうやっといたほうが流行るよね,というのは入れたくないので,そこは譲りたくないんだけども,でもそれであって,やっぱり人に伝わってポピュラーになって,気持ちがいいってなって.だから,なんとか,そこへ行きたいなとは思って,がんばるんだけどね,ポピュラーっていうのはね,ものすごい難しいんよ.

業界のプロが作っている音楽と違うところていうのは,業界のプロは基本的には娯楽的なものを作る.聴く人が気持ちよくなるっていうのを優先して作る.それを作るから,お金を取れるっていう構造になってると思うんだけど.僕は表現ていうことで作ってるんで,そこは,かなり質が違うかもしれないなとは思いますね.

(宿酔は,表現として作ったものが娯楽にもポピュラーにもなったということ?)

和田: どの程度かはわからないですけどね.たとえば,ツイッターのコメントを見てて,中原中也の世界観とこの曲がめっちゃマッチしていてというようなコメントがあると,僕は嬉しいですね.自分の発想していたものがちゃんと伝わってるねんな,というのでね.別に喜ばそうと思って作ってるわけでは,少なくとも作ってる時はそうじゃなかって,その作った時の想いがちゃんと伝わる部分もあるんだなと.それがどのぐらいの割合かはよくわからないですけどね.

まあ,聴くほうは,自由に聴けばいいと思います.