演奏
コンピュータ,インターネット,携帯音楽プレーヤーなどのディジタル音楽技術によって,演奏の意味が急速に変化しています.音楽における演奏家の役割については,演奏家の方々がそれぞれの信念に従って実践されているわけですが,僕も作曲家の立場から少し考えてみたいと思います.
楽譜と演奏
バッハやモーツァルトの時代には,楽譜は音楽の骨組みを表すだけのもので,演奏家がその場の雰囲気に合わせて比較的自由にテンポや強弱などを調節しながら演奏していたんだと思います.楽譜に表記されるテンポはかなり適当なものでした.「歩く速さ」なんて言われたって,そんなもの人によってまちまちです.鍵盤楽器による伴奏は和音記号だけが書かれていて,フォーク音楽の伴奏みたいに気分で自由に演奏しちゃってかまわないようになっていたりします.
楽譜に書かれていることは絶対的で演奏家はそれを忠実に守って演奏せよ,と言ったのはベートーベンです.ちょうどそのころにメトロノームが発明されてテンポを物理的に指定できるようになったので,ベートーベンはさっそく,1分間に四分音符いくつ,と物理的に速度を指定するようになります.それを進めて行くと,演奏家は単に楽譜に書かれていることを忠実に再現するだけの機械か,という話になります.ベートーベンならその通りだと答えたかもしれません.と言うと何やら専制君主みたいですが,当時の演奏家達がいい加減で,そうでもしないと自分の表現したい音楽がちゃんと演奏されなかったのかも知れません.
まさか,「自分は楽譜通りに弾くだけの機械である」なんて言う演奏家はいないと思いますが,楽譜に書かれていることや,遡って作曲家が表現しようとしたことをなるべく忠実に演奏に反映させることが演奏家の仕事,と考える人は多いと思います.楽譜の指示を守らずに演奏家の気分で勝手に変えて演奏したりするのは邪道というわけです.
これと対極の考え方は,楽譜は音楽の材料の一つに過ぎなくて,それをどのように演奏するかは全く演奏家の自由というものです.音楽は演奏家の自己表現であって演奏家こそが音楽の創り手という考え方です.楽譜を料理のレシピみたいなものだと考えるといいかも知れません.料理を作るのは,レシピを書いた人ではなく,料理人です.音楽を作るのは,楽譜を書いた作曲家ではなくて,演奏家というわけです.
ほとんどの演奏家は,これら両極端の考え方の中間のスタンスで演奏活動していると思います.楽譜に書かれていることや作曲家が表現しようとしたことを理解して演奏に反映させることは演奏家の義務ではあるけれど,楽譜に書かれていない部分については演奏家の裁量に任されていて,その部分でささやかながら演奏家自身の自己表現をする,というスタンスです.
作曲家として,演奏に関する指示をどこまで細かく楽譜に書き込むべきかは,悩むところです.最近僕自身は,音符以外の情報はあまり書き込まないようにしています.演奏家が自分のスタイルで自由に演奏して欲しいと思うからです.勝手に変えて演奏されてはたまらないと考える作曲家の気持ちもわかりますが,今は,作曲家自身がどういう表現を意図しているかはコンピュータで作ってみせることができるのですから,楽譜に書かれた音楽の骨格の上に演奏家がどのように肉付けして音楽を創ってくれるかという部分に期待したいという気持ちのほうが強いです.
生演奏と録音
クラシック音楽が華やかだった19世紀中頃にはまだ録音なんてありませんでした.音楽はすべて生演奏だったわけです.
トマス・エディスンがレコードを発明して録音ができるようになったのは1877年です.さっそく当時の有名演奏家達の演奏が次々と録音されて蓄音機によって繰り返し聴くことができるようになりますが,これは音楽史における一つの事件です.これ以後,音楽は生演奏と録音物再生という2種類が併存することになります.
録音物は,最初は生演奏の代替物という位置づけだったでしょうが,生演奏が一度に1カ所でしかできないのに対して,録音物は複製によって遥かに多くの聴衆に音楽を届けることができますから,ビジネスとしては次第に録音物が重要になっていきます.
そうなると,録音物を中心に活動する演奏家が出てきます.生演奏は一発勝負でやり直しができませんが,録音であれば何度も録り直しができます.それどころか,最近ではディジタル音声信号処理によって音程やタイミングの修正までできてしまいます.生演奏と録音物の音がどんどんかけ離れてしまっているんですね.
生演奏と録音物のギャップをどのように考えるかは,演奏家の姿勢が問われる大きな問題です.生演奏が重要と考える演奏家にとっては,録音物は生演奏をなるべく忠実に反映したものであることが重要でしょう.ところがその対極には録り直しや修正をしまくって完璧な録音物を作ってそれでよしとする演奏家がいるわけです.それをインチキだと言っても始まりません.テレビ・ラジオ・CD等を通じて録音物しか聴かない一般の聴衆には,演奏が修正されているかどうかなんてわかりませんから,修正された演奏のほうがいい演奏に聴こえます.リスナーが望むものを届けるのが演奏家の仕事なら,修正できるものは修正するのが正しいとも言えます.生演奏を中心に活動している演奏家も,収入的には録音物の売上に大なり小なり依存していたりしますから,これは悩ましい問題です.
クラシックの世界では,最近は,ラジオやCD等の録音物でしか音楽を聴いたことがない人と,演奏会に出かけて楽しむ人に分かれてしまっているという話を聞きました.録音物が,実はディジタル技術によって修正されまくったコンピュータ音楽であるという認識が広まってしまえば,人々の興味が再び生演奏に戻って来るのかもしれません.
コンピュータと演奏
作曲用のコンピュータプログラムは80年代ぐらいからありましたが,それは主に楽譜作成用で,音が鳴ってもせいぜい確認用のブザーのような電子音でした.ところが最近になってサンプラー技術が急速に進歩し,生演奏の録音とほとんど区別がつかないような音源が,コンピュータだけで作れるようになってきました.
コンピュータだけを使っていくらでも自分が望む音に近いものが作れるのであれば,作曲家は,わざわざ楽譜を作って演奏してもらうなんて面倒なことはせずに,コンピュータに直接打込んで表現してしまえばいいってことです.
これは,クラシック音楽の演奏家にとって脅威です.クラシック音楽では演奏家は楽譜通りに弾くことになっていますから,演奏家としての評価においては,いかに難しいフレーズでも速く正確に弾き切るかというような技術的な点が重要視されてきました.だからクラシックの演奏家は毎日8時間も基礎的なトレーニングに費やすわけです.しかしいくら練習したって,速く正確に演奏するだけならコンピュータに勝てるわけはありません.
でも自動車が発明されてもマラソンは続いています.機械で編んだセーターが安く簡単に手に入る時代にも,いや,そういう時代だからこそ手編みのセーターが重宝されます.機械は機械,人は人ということで,演奏も今まで通りで問題ないのかも知れません.よくわかりません.
コンピュータとサンプリング技術は今後もどんどん発展していくだろうと思います.それに従って,良し悪しとは別の全く経済的な理由から,録音物のみにフォーカスしている演奏家はどんどん駆逐されていくでしょうね.これまでCD制作において歌の伴奏等を引き受けていたいわゆるスタジオミュージシャンは,既にどんどんコンピュータによる打込みに置き換えられています.ヴォーカルだけは大丈夫なんて思っていたら間違いです.初音ミクが登場してみんなの注目を集めたのは,一時的な流行じゃないです.今はいかにもおもちゃの合成ヴォーカル風だけど,それでも多くの作曲家が本物のヴォーカルに頼んで面倒な録音をするより楽でいいと思って初音ミクを使い,しかも多くの人たちがそれを面白いと感じているわけです.過去20年にどのくらい楽器のサンプリング技術が進歩したか考えれば,今後20年で本物と区別がつかない合成ヴォーカルが登場しても不思議じゃないです.
じゃあ演奏家はもういらないのかと言えば,そんなことはないです.生演奏は今後もずっと続くでしょう.生演奏には,演奏家がその人の人間性すべてで音楽に対峙し,そして演奏家と聴衆という生身の人間が創りだすその場限りの空気があります.それがコンサートホールであれ,個人宅のパーティーであれ,あるいはストリートライブであれ,生演奏には決して録音物で代替できない何か特別なクオリティーがあります.そして,それを求める人がいる限り,演奏はなくならないだろうし,演奏家という職業もなくならないと思います.
演奏の楽しみ
演奏と言えば,普通は,聴衆に音楽を聴いてもらうために行うものです.演奏家にとって,最大の報酬は,リサイタルで大喝采を浴びることといったイメージです.でもそれとは別に,演奏すること自体の楽しみというものがあります.
僕はもう30年ほどクラシックギターを弾いて来ましたが,人に聴かせるために弾いたことはほとんどなくて,いつも自分で弾いて満足して終わりなんですよね.自分で演奏した音楽を自分で聴いて,それだけで落ち着く.アマチュア演奏家の多くは,僕と同じように感じて演奏しているのではないでしょうか.
日本ではいわゆるママさんコーラスが盛んですが,参加される方が求めているのは,みんなで歌ってハモることの気持ちよさではないでしょうか.もちろん,みんなが練習して上手くなっていかないと楽しくないので,そのための目標として合唱コンクールのようなものを目指すということはあると思いますが,コンクールで入賞できなければ練習の意味がない,なんてことはなくて,練習して上達して演奏が完成して行くその過程自体が楽しいんだと思います.同じことは,学生がやっているオーケストラやロックバンドでも言えると思います.
プロの一流演奏家がリサイタルで演奏する曲は,高い演奏技術と音楽的感性を要求する,いわゆる難曲が多いです.聴衆も,アクロバティックな演奏に圧倒されて酔ったように感動することを求めて演奏会に出かけるわけです.
でもアマチュアの演奏家にとっては,聴衆を酔わせることよりも,自分が演奏して陶酔できることのほうが重要です.演奏が難しすぎては楽しめないですから,自分の技術レベルに合わせた曲で,その時の自分の気分にぴったりの曲がいいわけです.僕が一番興味を持っているのは,このような,演奏すること自体を楽しむための音楽です.演奏していて気持ちいい曲をいっぱい作りたいと思っています.
2008.3.19