音楽と脳
音楽はハート,なんて言うけれど,心臓病の治療で人工心臓になったら音楽ができなくなってしまうなんてことはないです.音楽が脳の活動なのは明らかでしょう.最近は,fMRI等の測定機器の進歩によって,脳のどの部位が音楽にどのように関係しているかも次第に明らかになってきています.
とは言え,まだまだわからないことだらけなのも事実.わからないから,何でも言いたい放題です.音楽と左脳・右脳の関係など,科学的根拠のいい加減な説がまことしやかに書き散らされているのが目につきます.
そこで,僕も,まことしやかに妄想を書き散らしてみたいと思います.(爆)
ヒトの脳
ヒトの脳は,大きく大脳,脳幹,小脳に分けられます.
脳幹
脳幹は,脳の中心部分にあって,ヒトが動物として生きてゆくための最も重要な機能を司っています.すなわち,自律神経系やホルモンを通じて内蔵の働きをコントロールしたり,睡眠の調節をしているのが脳幹です.また,危険を感じれば引き下がるといった本能的な行動も脳幹によって引き起こされます.あるものが自分にとってプラスなのかマイナスなのかを生理的に判断する快・不快の中枢が存在するのも脳幹です.
ヒトの脳の脳幹部分は,爬虫類の脳とほぼ同じ構造をしていることが知られています.生物進化に伴って脳も進化し,爬虫類に至って脳幹の機能が具わったということです.その後,ほ乳類からヒトへと進化する間に大脳と小脳の巨大化が起きました.
大脳
大脳は,脳幹をすっぽりと覆ってしまっているので,普通,脳を外側から見ると大脳しか見えません.ヒトの脳の最大の特徴は,その巨大な大脳です.
大脳の機能を一言でいえば,理性です.物事を記憶したり,考えたり,論理的な推論を行うのはすべて大脳の働きです.見ているものが何かを判断するのも,意識的に手足を動かして行動を起こすのも大脳の働きです.文字を読んだりことばを聴いたりして理解するのも,また話したり書いたりするのも大脳の働きです.
小脳
小脳は,後頭部にあって,脳幹とつながっている器官です.ヒトの脳を爬虫類の脳と比較すると,巨大な大脳に目が行きがちですが,小脳が大きいこともヒトの脳の特徴です.小脳と言うぐらいで大脳に比べてサイズは小さいのですが,大脳皮質に約140億の神経細胞があるのに対し,小脳皮質にはなんと1千億もの神経細胞があるのです.
そんな膨大な数の神経細胞を使って小脳は何をするかと言うと,運動の自動化を行います.たとえば,自転車の運転のようなものを考えてみるとわかりやすいのですが,運転の仕方を教えてもらっても最初はうまく運転できません.左に倒れそうになったら左にハンドルを切って,と頭でわかっていてもうまくできませんよね.それが,何時間か練習しているうちに,ふっとうまくコントロールできるようになる.いったん自転車に乗れるようになると,もういちいち考えなくても運転できるようになるでしょう.あれは,小脳が自転車の運転に必要な筋肉のコントロールを全部記憶してしまうから運転できるようになるのです.二足歩行も,テニスでボールを打つのも,箸でものをつかむのも.ほとんどありとあらゆる運動に小脳が関係しています.一般に我々が「体で憶える」と言っているのは,実はすべて小脳で憶えているのです.
大脳からの指令によって手足を動かしている間,我々はそれを意識します.意識は大脳の働きだからです.それに対して,小脳が動きを記憶してしまったあとでは,指令は直接小脳から筋肉に伝えられるため,意識していないのに手足が動く状態になります.たとえば,歩いている時,我々は,次に右足を前に出してそれから左足を前に出してなんていちいち意識しません.大脳が意識しなくても,小脳からの指令に従って自動的に手足の筋肉が動いて歩いているわけです.
小脳が運動を記憶する仕方は比較的よくわかっています.最初はとりあえず関係しそうな筋肉をすべて動かしてみるところから始まります.動きが思ったようにうまくいかなかった時に,大脳から「今のはダメ」と教師信号が行くと,その時強く動かしていた筋肉に対して,次回からは同じ状況下ではブレーキをかけるように小脳が記憶します.そうやって,小脳は,いらない筋肉を使わないように使わないようにとコントロールしていきます.その結果,小脳が動きを完全に憶えてしまったら,無駄な筋肉を一切使わない非常に効率の良い動きになるわけです.
演奏と小脳
楽器の演奏は,手や唇の筋肉を使った運動の一種ですから,当然小脳が関係してきます.あるフレーズを,最初は,ドレミ,とか考えながら弾いていたとしても,練習しているうちにいちいち考えなくても指が勝手に動くようになります.あれは小脳が憶えてしまうからです.
楽器の練習に繰り返しが必要なのは誰でも知っていますね.でも漫然と繰り返すだけでは効率が悪いです.小脳での記憶には,どこがダメだったかの判断が重要な役割を果たしますから,今マスターしようとしている事柄が何なのかをはっきり意識して,今のはダメ,今度はうまくいった,というように注意しながら練習するのが効果的です.
もう一つ.練習は,最初はうまくいきません.何度も繰り返してやっとできるようになるわけですが,その後が大事です.できるようになった動きを何度も繰り返して,その時の筋肉の使い方をしっかり小脳に記憶させる必要があります.100回失敗してやっとできるようになったのなら,そのあと100回繰り返して演奏して,成功した時の筋肉の動きを小脳にしっかり記憶させるようにしましょう.
初見
初見というのは,初めて見る楽譜に従ってリアルタイムで演奏してしまうことですが,それができるようになるのも小脳のおかげです.目で楽譜を追いかけながらこれはC,これはDと考えなくても勝手に手や唇がその音を出すようになってしまえばいいわけです.人によって勘のいい悪いはあるにせよ,繰り返し練習すれば誰でもできるようになるはずです.と言う僕自身,練習不足で初見ができないですが.(笑)
理性と感性
我々が音楽を演奏したり聴いたりしている時には,脳の様々な部位が活動します.
フルートの音色とか,長調の曲だとか,4拍子だとか,属七の和音だとか,チェロが少し右に定位しているとか,リバーブが薄く長めにかかっているとか,ちょっとリズムに乗り遅れたとか,そういう認識はすべて大脳の働きです.これらはすべて意識することができ,言葉で説明することができます.また,学習することによって認識が深く高度になっていきます.
大脳と同時に脳幹も活動しますが,その働きは意識されず,言葉で説明するのが難しいです.なぜなら,意識や言葉は大脳の働きだからです.脳幹では,本能的にそれがイイかワルイか,というような判断を無意識に行います.言葉でうまく説明できないんだけど,とにかくイイ,というような感じの判断です.それを無理に言葉で説明しようとすると,「ねぇわかるでしょ.このガツーンて...ああもうむちゃくちゃイイ」みたいな意味不明の説明になってしまいます.言おうとしてること,ねぇわかるでしょ.
大脳の働きが理性と呼ばれるのに対して,脳幹におけるこの本能的な判断は一般的に感性と呼ばれています.感性は,その人が生まれてからその時までの経験に基づいて獲得して来たもので,人ごとに違っていて,それがその人の個性となって表れます.理性のことを「あたまで考える」と言い,感性のことを「こころで感じる」というような表現をすることも多いです.その場合,大脳=あたま,脳幹=こころ,という対応になります.
感性は理性の反対概念ではないです.脳幹がイイかワルイかを判断するときには,様々な種類の情報が脳幹に入力されて総合的に処理されるのですが,その入力の中には大脳からのものも含まれています.すなわち,無意識的本能的なものばかりでなく理性的な判断をも含めて総合的にイイかワルイかを判断するのが感性です.
感性はそれ自身言葉を持たないので注意が必要です.言葉は大脳の機能だからです.たとえば,自分の感性として本当はJ-POPを聴くと心地よいのに,大脳では「あんな低俗な音楽を聴くとヘドが出る」と思い込んでいて,言葉では,J-POPなんて大嫌いだと言っているなんてことが起こり得ます.
感性は意識もされません.意識は大脳の機能だからです.直接意識できないので,実は自分の感性を知ることはかなり難しいことです.どうすれば,自分の感性を知ることができるかと言うと,あらゆる先入観を捨てて,開かれた心で対象に接してみて,細心の注意を払って生身の自分が生理的にどう感じているかに耳を傾ける,という感じの訓練をするのです.それを続けていれば,そのうち自分の感性がどんなものかがおぼろげながらわかってくるのです.実は,座禅というのはそれをすることだったりします.
音楽評論
ある音楽がいいか悪いかを,自分のあらゆる経験と知識に基づいて判断し,それを言葉で語るのが音楽評論でしょうか.それは高度な理性による活動です.が,感性をわかっていない人が音楽評論をすると,知識や論理ばかりの音楽評論になってしまいがちです.音楽においては感性がとても大事ですから,それでは困ります.
作曲と脳
作曲には,大脳と脳幹の両方が関わります.
作曲をするには,音の高さ,長さ,強さ,音色,リズムと強弱,音階,和音,調性などに関する規則をある程度理解する必要があります.それらを理解するのは大脳です.西洋音楽の場合,これらは対位法や和声学といった伝統的な科目を学習していくことで自然に習得できますから,簡単です.とにかく知識や理論といったものは,勉強しちゃえばいいわけです.
西洋音楽の音楽理論は非常によくできており,それらを十分にマスターすれば,感性がなくても作曲を行うことができるようになります.単に作業をすれば曲ができちゃうわけですね.でも,それだけだと,作曲者の個性がなくて,誰が作っても同じというような曲が出来上がります.
普通,作曲者は,自分独自の感性を生かしたオリジナリティのある曲を作ろうとするものです.そのことを,一般的に,こころや気持ちを音で表現する,というような言い方をすると思います.こちらは脳幹の働きです.
自分の感性に基づいて作曲するのは,つまり作りたいように作るというだけのことですから,ある意味簡単です.ところが,なまじっか音楽理論を知っていたりすると,この音は理論に反する,というような理性の判断が邪魔をします.音楽理論も知らないやつだと言われるのが怖くて,なかなか自由に音が選べなかったりします.他人に受け入れてもらえるだろうか,なんて気にしだしたらもう最悪です.もし,自分独自の音楽が作りたいのであれば,そんな邪念はすべて捨ててしまえばいいのです.自分の感性になるべく忠実に音を選べばいいのです.誰かに,その音は違うんじゃないの,と言われるということは,それが自分独自の音だということを意味しています.もちろん,なんでも違ってりゃいいってもんじゃないです.自分の感性に合わないものを無理に作っても仕方ないでしょう.
自分の感性を「わかって」いると,効率的に自分の音を選ぶことができるので,作曲のためにすごく助けになります.そのためには,あらゆる先入観を捨てて,古今東西の名曲や名演奏と言われるものに開かれた心で接してみて,細心の注意を払って生身の自分が生理的にどう感じているかに耳を傾ける,という感じの訓練をするのです.それを,自分の感性を磨く,という言い方で表すんだと思います.
技術と感性がうまく噛み合って作曲されたものは,作曲者自身にとってはとても気持ちのよい自分独自の音楽です.それが他人にどう受け取られるかは,また別の問題なんですけどね.
まとめ
大脳 |
理性 |
あたまで考える |
音楽理論,作曲技法,楽曲解析など | 勉強する |
脳幹 |
感性 |
こころで感じる |
音楽性 | 名曲・名演奏を聴く |
小脳 |
運動神経 |
からだで憶える |
演奏技術 | 練習する |
最後に
本気になってツッコまないように.(笑)
2008.7.18