聴く
音楽を聴くという行為について,様々な側面から考えてみたいと思います.
演奏家が楽器を演奏して発せられた音が音波,すなわち,空気の振動となって空中を伝わり,耳にある鼓膜を振動させてその情報が神経を伝わって脳まで伝達されるわけですが,ここではそういう物理的過程ではなく,聴いた音楽を人がどのように捉えるか,という心理的側面について考えてみます.
好き嫌い
まず,聴いている音楽をイイと思うか思わないかという素朴な切り口があります.
音楽を聴く時に,それ以上のことは考えないし,考える必要もない人がほとんどでしょう.理由なんていらない.イイと感じれば聴くしそうでなければ聴かない.音楽を聴くだけなら,それで十分かもしれません.
でも,自分が歌ったり演奏したりして他人に聴いてもらう立場だったら,聴く人が何をどのようにイイと感じているか,もう少し深く考えたほうがいいかもしれません.しかしそれを聴く人に尋ねるのは無駄というものです.彼らは,イイかどうかはすぐに答えらてもて,それ以上のことは考えないし,考える必要もないのですから.
演奏技術
あの高い音を歌えるのは誰それだけとか,あのグルーブ感は他の誰にも真似できないとか,あの高速フレーズが弾けるのは他にはいないとか,演奏者の技術的な側面に感動してイイと感じる,ということはよくあることだと思います.
演奏技術は演奏者の能力の見せ場ですから,たいていの演奏者は,この演奏技術の部分で聴く人がイイと感じて欲しいと思っているはずです.
演奏者
演奏がイイというのを突き詰めて行くと,実は演奏自体よりも演奏者の人となりが好きでイイと感じていることも多いと思います.ブログの記事でこつこつと努力している姿に好感が持てるとか,コンサートのMCトークがとても楽しいとか.その人が好きだから,演奏も音楽もすべてがイイ.
逆に,音楽自体は悪くないんだけど演奏者が嫌いだから聴かない,というのもあるわけですね.
ビジュアル
演奏者がイイという中には,演奏者の視覚的要素が重要という場合もあるでしょう.美人だったりイケメンだからイイと感じる,あるいは演奏者の服装や仕草がカッコイイというような場合です.性格や人格はそう簡単には変えることができませんが,ビジュアル要素ならば化粧や服装,あるいはライティングによる演出など,努力次第でかなり作ることができますから,積極的にビジュアルに訴える演奏家もいて当然です.
演奏者ではなく,アルバムのジャケットデザインやプロモーションビデオの映像がカッコよくて,それが少なからず影響してイイと感じていることがあるかもしれません.
曲
誰が演奏しているとか,どういう演奏かということよりも,聴いている曲自体がイイというのは,当然あります.名曲というのは,誰のどういう演奏かということを飛び越えて聴く人にイイと感じさせる力を持った曲のことです.作曲家は,みんなそれを目ざして作曲しているわけです.おそらく.
演奏家は一代限りですが,名曲は,作曲者の死後も残って作曲家の魂を後世に伝えます.すばらしいことのように聞こえますが,ちょっと待って下さい.現代の演奏家が現代の演奏家どうしで技術や音楽性を競い合えばいいのに対して,現代の作曲家は,バッハやモーツァルトやショパンといった過去の作曲家と競い合わないといけないことになります.しかも,彼らの曲は著作権が切れていて,タダでいくらでも自由に演奏してよいのですから,全く勝負になりません.
作曲家
ある作曲家の作品を多く聴くうちに,個々の作品よりも,作曲者自身に興味が沸いて,たとえば「モーツァルトはイイ」と感じながら曲を聴くこともあり得ます.
でも,歴代の作曲家を見る限り話は逆で,作品はすばらしいのに作曲者があまりに変人なので作曲者の生存中にはほとんど曲が演奏されず,偏屈な作曲者が死んだとたんに,みんなが安心して曲を演奏するようになって流行する,というパターンが幾度も繰り返されているように思います.偏屈だからみんな近寄らないのか,それとも,みんなが近寄らないから偏屈になっていくのか,そのへんは僕にもよくわかりませんが.
編曲
曲のアレンジは,あまり光が当たらない仕事ですが,実は曲の出来を左右する非常に重要な要素です.それを知っていて,誰それのアレンジは最高!,というようなマニアックな人はほとんどいないっすね.
音響技術
もう1つ非常に重要なのが,音響技術です.CD等の音楽メディアを通じて聴く場合,ミキシングやマスタリングの腕次第で,普通の演奏が名演にも駄演にもなり得ます.ライブにおいては,PAのエンジニアの能力がコンサートの出来を左右します.しかし,音楽を聴くときに,音響エンジニアが誰かを気にする人はまずいないでしょう.
会場の空気
たとえばロックコンサートで,聴衆が一緒になって盛り上がる雰囲気がイイ,というのもあるでしょう.音楽に限らず,スポーツ観戦にも共通する要素です.
想い出
非常に強く感動した時に流れていた音楽は,感動した事柄と一緒に記憶され,その事柄を思いだすたびにその音楽が頭の中で流れ,その音楽を聴くたびにその記憶が蘇るという効果があります.その人にとって大事な記憶であれば,その音楽も同様に大事と感じるはずです.
たとえば映画音楽は,この効果を意図的に用いたものです.映画がよければその音楽もイイ.逆も成り立ち,切り離すことはできない.だから,映画のサウンドトラックは,普通の意味の音楽とは別のジャンルと考えたほうがいいでしょう.
共有
聴いている音楽をイイと感じても,それを「イイよねぇ」と言い合って確認し合える友達がいないと,つまんないもんです.人によっては,音楽の内容よりも,この仲間と「イイよねぇ」と確認し合うことのほうが大事な場合もあるでしょう.
これを極端に表しているのが,流行という現象です.音楽がイイからみんなが聴く.みんな聴くから「イイよねぇ」と言い合って確認しあえる,という素朴な形での流行は昔からありました.
でも最近は,流行という現象をビジネス的に利用するという考え方が当たり前になっています.とにかく何でもいいから,一度みんなが知っている状態にしてしまえば,友達との話のネタになり,友達同士の話についていくために曲を聴く,という形で曲が流行する.流行は作るものだということです.流行っている音楽がつまらなくなってしまったのは,そのせいです.
知っている
聴く者にとって,知っている曲と知らない曲では,天地の差があります.知っている曲の場合,聴いていると言っても,実は頭の中でその曲が演奏されており,それと耳から聞こえてくる実際の演奏の音がシンクロしている状態です.この頭の中で鳴っている音楽に対して,実際の演奏が応えてくれている状態はすごく心地よいものです.
逆に知らない,聴いたことのない音楽の場合は,次々と予測できない音が聴こえてくるわけで,集中して聴き続けるには非常な緊張が強いられます.それでもイイと感じるのはよほどの場合です.
従って,ビジネス的には,何でもいいから曲を知ってもらうことがとても大事になります.そのために,コマーシャルやテレビドラマとタイアップして曲を流したり,あるいは宣伝に費用をかけられるメジャーアーティストの場合であれば,FM局に相当のお金を支払って,ヘビーローテーションと言って1日に何度も同じ曲を流してもらうなどの手法が用いられます.
音楽の聴き方
さて,みなさんは,どういう音楽の聴き方をしているでしょうか.演奏者がちょっとぐらいミスっても,やっぱりイイと思いますか.演奏者が突然そっけなくなってしまっても,これまで聴いてた音楽はやっぱりイイと思うでしょうか.演奏者が,実は思ったほど美人とかイケメンでなかったり,ダサい格好で演奏していても,その音楽はイイと思うでしょうか.その演奏家が演奏するんだったら今まで好きでなかった曲もイイと感じたりしますか.たとえコンサート会場がガラガラで全然盛り上がらなくても聴きたいと思うでしょうか.他にイイと言う人が一人もいなくても,自分だけはイイと言えますか.
「イイから聴く」の実体は,上に述べたような要素が複雑に絡まり合っています.どれか一つだけの理由でイイと感じているわけではありません.作曲家であれば,「曲が本当に良ければみんなイイと感じるはず」,とか,演奏家であれば,「音楽的にすばらしく技術的に完璧な演奏をすれば誰だってイイと感じるはず」,などと単純に考えがちですが,聴く側の論理はそんな単純なものではないです.曲がいくら良くても,演奏がいくら完璧でも,イイと感じない理由はいくらでもあるわけです.
イイと感じれば聴くしそうでなければ聴かない.音楽を聴くだけなら,それで十分かもしれませんが,少し見方を変えて,これは曲としてはどうなんだ,演奏技術はどうなんだ,いったいどういう人が作った曲なんだ,別の人が演奏したらどうなんだろう,という風に様々な視点から聴いてみると,音楽の新たな楽しみ方ができるかも知れませんよ.
2008.6.28