はじめに
時折音楽理論というものが気になって勉強し始めて見るものの,並行五度禁則とかアボイドノートとか,いったいどういう必然性があってそういう規則があるのかまるで理解できず,毎回挫折する.その上,ジャンルが違えば記号や言葉が違っていて,独学者には非常に辛いものがある.それでも長年音楽をやっていると,自分流のやりかたでいろんな概念が理解できるようになってきた.ここらで理解した事柄を一度整理しておこうと思う.基本的には自分のためのノートだが,初学者が既存の音楽理論を学習する前に一読すれば,視点が広がって,つまらないことで無駄につまずかずに済むかもしれない.
音楽理論
音楽理論は,言語における文法のようなものである.自然発生した言語は,時間と共に次第に規則的に使われるようになってゆく.言語をよく理解しさらに活用するために,それらの規則をまとめたものが言語文法である.同様に,自然発生した音楽が時代を経て形作ってきたパターンを整理し,それをまとめたものが音楽理論である.
理論を知らなければ作曲できないなどということはない.文法なんて知らなくても子供が言葉をしゃべれるようになるのと同じで,理論なんて知らなくても音楽を作ったり演奏したりできる.ただ,ある程度音楽を作ったり演奏したりできるようになった段階で,一度音楽理論を学習しておけば,音楽をさらに深く理解するための役に立つ.音楽理論とはそういうものである.
逆に理論を知れば作曲できるようになるかというと,そういうものでもない.文法を完璧に学習しただけでは言語を自由に操れるようにはならないのと同様,新たな音楽を生みだすためには理論だけ知っていても仕方がない.理屈のみで作られた音楽は,人の心を動かすことはないであろう.生きた音楽を生みだすためには,まず音楽文化を深く理解することが必要である.
理論に基づかない音楽を程度が低いと見下すような言動をたまに見受けるが,音楽は理論的に正しいか間違いかで判断されるべきものではない.作曲や演奏を行う個々人がどのような音楽を良しとするかは,個人の音楽感性の問題であって,人ごとに違っていてかまわない.音楽理論をどのように捉えて作曲や演奏をするかも含め,それが作曲家・演奏家のオリジナリティーである.
しかし,作られた曲や演奏が他人にどのように受け止められるかはまた別の問題である.音楽において最も大事なのは,そこに人の心を動かす何かがあるかということであろう.音楽理論を,音楽が歴史を通じて形成してきたパターンのエッセンスであるとするならば,そこには,人の心を動かす音の法則が詰まっているはずである.その意味で,音楽理論は,ある音楽が一般的にどのように受け止められるかを映し出す一種の鏡のようなものとも考えられる.自分の主観的な音楽感性を大事にしつつ,自分の音楽が歴史の中でどう受け止められるかを音楽理論に照らして客観的に見てみる,ということなのかもしれない.
ジャンル
西洋音楽には中世以来数多くの作曲家・音楽家達が発展させてきた和声学,対位法などの音楽理論がある.今も多くの現代音楽の作曲家達がその伝統の延長線上で,あるいは,いかにその枠組みを乗り越えるかという立場で作曲活動を続けている.
一方で,西洋音楽から派生しつつも古典的な音楽理論にあまり影響されずに別の音楽文化を発展させてきたフォーク,ロック,ラテン音楽等のジャンルが存在する.中でもジャズは独自の音楽理論を発展させており,それが現代のポピュラー音楽に大きな影響を及ぼしている.
同じ音楽なのに,ジャンルごとに決まりを表すための独自の表記法が発達していて,ジャンルが違えばお互い話も通じないのはいかにも不便である.せめて基礎部分ぐらいはお互い話が通じるようにしたい.
音楽の基礎
というわけで,なるべくジャンルによらない形で音楽の基礎を書いてみたい.
もちろん,西洋音楽の音楽理論もジャズの音楽理論もちゃんと習ったことがない筆者が,すべてのジャンルを網羅した音楽理論など解説できるはずはない.むしろ,既存の音楽理論の枠にあまり捕われることなく,素朴な発想を大事にしながら,自由に書いてみようと思う.